子どもを読書好きにする苦楽園読書くらぶ

お遍路日誌

自転車お遍路

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プロローグ

ツールド空海

10年前くらいであろうか「ツールド空海」というツアーのドキュメントをテレビで見た。ツールドフランスは険しい山岳を走る自転車レースで有名であるがこの「ツールド空海」はレースではなく四国八十八ヶ所の霊場を自転車で巡るお遍路ツアーであった。

参加者は年齢・職業もまちまちで、人生をもう一度見つめ直したい。人生をやり直したい。立ち直りたい。とそれぞれの思いを持ちよって参加していた。「いつか私もこのツアーに参加したい」と思ったが、休みが思うように取れないなどの理由からいつしか忘れてしまっていた。

ところが私の知人が毎月バスツアーでお遍路に出かけているとたまたま聞いたことがきっかけとなって潜在意識の中で長い間眠っていた「ツールド空海」の記憶がよみがえってきた。

お遍路へ

塾の盆休みに四国へ行くことを決めたのは夏休みに入る前であった。トライアスロンで長距離のライドになれていたので一人でも巡れる自信があった。

三宮の神戸港からフェリーに乗り、高松へ渡り、徳島の種まき大師さんの東林院を皮切りに1番札所霊山寺から順番どおりに高知の31番札所竹林寺まで540キロの道程であった。帰路は高知港から大阪南港までフェリーに乗った。

1日に100キロ走行を目標にして泊まれる所に泊まるといった場当たり的ではあったがすべて何とかなった。大江健三郎的に言えば、「見る前に飛べ!」である。また四国で見たこと聞いたことを自分の感性でとらえたいという思いからお遍路についての知識は最小限にとどめた。

一部の寺を除いてほとんどの寺の坂道を登りきれたのはトライアスロンの経験が生かされた。やはり経験は有弁である。

さらなるお遍路へのおもい

ところで先に書いた「ツールド空海」であるが色んな思いの人がいたが私の場合はこうである。1つは母親も八十八ヶ所を巡り満願成就しているが、その歩いた道を追体験したいという思い。私のゆかりの者を追悼しながら霊所を巡る修行僧となること。この2つであった。
そして各寺々でゆかりのものをしのびつつすがすがしく般若心経を唱えた。5日間、事故にもあわず無事過ごせたことを感謝している。

来年再来年と三年がかりになるが八十八ヶ所全霊場を巡りたいと思っている。また、いつか時間を気にせず「歩いて」四国を巡りたいと思いが、この5日間でさらに強くなってきた。 合掌
 (くらじゅく通信 2005年9月・10月号より)


お遍路日誌(2004年8月11日~8月17日)

(8月11日)

四国にむけて出発(8月11日)

自宅を12時に出発。自転車の荷物ラックを求めて、自転車店を探す。数軒の自転車をたずねるがどこにも扱っていない。そこで三宮の東急ハンズに向かう。

芦屋から約15分でハンズへ。ハンズで,60歳くらいの親切な店員さんが荷物ラックをチョイスし、つけてくれたがラック用のザックは手に入らなかった。四国で調達することにし、PM2:00頃三宮の南にあるフェリー乗り場へ向かう。

たくさんの家族連れが乗船を待っていた。自転車、バイクはトラックの後、優先して乗船できた。ラウンジ風の客室でいい場所をと思われるところがあいている。迷わず座るが後でその空いている理由が夕方ごろにわかる。

夕方になると西日を真正面から受けることになった。だからみな座らなかったのである。しかし、私には太陽が作る長い光の道が西国浄土の入口へつながっていると感じいよいよ四国八十八ヶ所霊場めぐりが始まるのだとしばし気持ちが高揚するのを覚えた。すばらしい夕陽であった。

四国に上陸

約3時間半で午後7時に高松につく。11号線を徳島に向けてひた走る。道は暗くなかなか走りにくい。できるだけ徳島近くまでと思い走るが、今度は体が冷えて寒気がしてきた。

国道沿いというのに8時位で店じまいするところが多く、開いているのは焼肉屋ばかりである。そんな中、比較的大きなレストランをみつけやっと食事にありつけた。

先に行くことをあきらめ近くで泊まることにする。レストランの人が教えてくれた三本松のホテルに電話を入れて予約する。ちょうどキャンセルがあったそうでグッドタイミングであった。ホテルはレストランから30分位の三本松というところにあり、四国第1日目の宿泊地となった。

 

お遍路の始まり(8月12日)

7時にホテルを出る。風邪をひいたようだ。鼻汁がでる。のども痛くなってきた。ホテルに泊まると調子が悪くなる。たぶん空調のせいだろう。それと昨日夜寒気に対するケアを怠ったせいもある。そんな反省からバイクウェアの上から長袖のシャツ、トレーニングパンツを着る。

ホテルで朝食をとれなかったので、コンビニでアンパンとカルピスウォーターを買って食べる。一路11号線を東へ。

11号線から41号線に分岐するところをたずねると人のよさそうなおじさんはいきすぎだからもどるように言ってくれた。もどってみるもののどうもあやしい。

ちょうど出勤途中のゴルフ場のバスの運転手さんに聞くと、まだずっと東の方に分岐があるとの事。後者が正しかったのだが、間違ったことを教えてくれる人もあれば正しいことを教えてくれる人もある。そこで最後に判断を下すのは自分である。

これからも何度かこういう場面に遭遇するであろうが「道案内は人生そのものである」とはよく言ったものである。

峠を越えて第一番札所霊山寺へ

さて41号線であるが分岐からしばらく平地でその後は延々とのぼりである。卯辰越という峠である。珠州トライアスロンの大谷峠を思い出しながら、登る。シッティングのままのぼれた。

下るとドイツ村公園があった。さらに下りきった所に第1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)があり、8時半頃についた。

霊山寺でお遍路グッズ(納経帳・判衣・納札・線香・頭陀袋(ずだぶくろ))を購入。しめて7500円。荷物はリュックにすべて詰めてきたのでお遍路グッズは最小限とした。それにしてもリュックはパンパンである。

種まき大師さんの由来

読書くらぶでご縁のあった幸徳さんから聞いていた種まき大師さんの東林院に向かう。

一番奥院とあるので霊山寺の中にあるかと思っていたが全くちがうお寺らしい。徳島市の方へ向かうこと5キロ。

ここは八十八ヶ所霊場の番外であるが弘法大師が四国に入って最初に訪れたところらしい。納経をしてくださる若いお坊さんに種まき大師さんのいわれを聞かせていただいた。

種まき大師さんとはもちろん弘法大師のことであるが、1つ目の種は中国から持ち帰った種子を畑にまき食べ物を作ること。2つ目の種は人々に信仰の心を根付かせること。この2つの種まきをした最初のお寺ということである。

ちなみにこの若いお坊さんは夙川に住んでいたという。震災で住むところがなくなり四国に来たという。お遍路初日からすごいご縁に出会ったものである。

十番札所切幡寺の麓で

もと来た道を戻り霊山寺・極楽寺・金泉寺・大日寺・地蔵寺・安楽寺・十楽寺・熊谷寺・法輪寺とまわり切幡寺へ。切幡寺は山寺で急な坂をのぼる。

急すぎて自転車でのぼることをあきらめ、333段の階段の下に自転車をおき階段をのぼる。お遍路1日目でさすがに疲れた。最初の卯辰越の山登りがこたえたらしい。

切幡寺の下にある。坂本民宿でお世話になる。坂本民宿は途中の札所で看板をみつけ予約を入れておいた。

リュックが思いのほか一杯になり、荷物整理をして、いるものを最小限にとどめ、いらないものを宅急便で自宅に送り返すことにした。荷物は半分近くに減少。ずいぶん軽くなった。8時に就寝。翌朝6時までぐっすりと眠った。

難所焼山寺(8月13日)

朝食をすませ、7時30分に出発する。藤井寺は平地にあるお寺で少しさびれていた。焼山寺までは山越えをすれば13キロほどであるが、急な坂が延々と続くことを下ってきたおじさんに教えてもらい国道を走ることにした。

坂道はとにかく体力を消耗する。先が長いことを考えると賢明な選択だ。というのは16日までにとにかく高知までたどり着かなくてはとの思いがあったからである。国道31号線を走ると焼山寺までは約20キロ。距離のわりにとにかく遠く感じた。

焼山寺は昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ遍路泣かせの難所である。これから山道に入る手前にあった小さな食料品店に、リュックを預かってもらうことにした。

頭陀袋をはすかいにかけ焼山寺をめざす。リュックをおろしてみて、初めて身の軽さに驚いた。軽快に坂をのぼる。細く勾配のきつい山道をのぼるがついに自転車を降りて押してのぼる。つくづくリュックを置いてきてよかった。

帰りにリュックを取りによると、おばあさんがミルクのパックをくれた。ありがたく頂戴する。

大日寺・常楽寺・国分寺・観音寺とまわり井戸寺へ。井戸寺で若い女のお遍路に会う。熱心に読経する姿が印象的であった。

泊まるところがない!徳島は阿波おどり一色

次の恩山寺までは約20キロ。井戸寺の近くの宿坊を訪ねるが宿泊できず徳島市に近いところでホテルをさがす。宿坊の方が薦めてくれた蔵本へいくがホテルらしいところはなく、あきらめてJR徳島の駅のほうへ向かう。

徳島市内は阿波おどりの初日で人がごった返していて、どのホテルも満杯であった。それにしてもすごい人だ。
雑踏の中で女のサイクリストとすれ違う。彼女も宿泊できるところを探している様子でお仲間がいて少しほっとする。

阿波おどり一色の徳島市内での宿泊をあきらめ次の恩山時に近いところまで移動することにする。喫茶店の電話帳で調べた小松島のホテルの予約がとれ、約10キロ南の小松島へ向かう。

途中ラーメン店で食事をして8時半ごろホテルに到着。爆睡する。眠ることがこんなに楽しみなのは学生時代のサッカーの合宿以来である。

生き仏さま(8月14日)

ホテルを7時30分出発。恩山時に向かうが方角がわからなくなる。個人タクシーの運転手さんに恩山時までの道を聞く。親切に教えてくれる。

本当に四国の人は誰に聞いても親切に教えてくれる。教えてくれたことが間違っていても腹が立たない。何故なんだろう。教えてくれた通りに走る。

しばらくすると一台のタクシーがゆっくりと追い抜いて前をゆく。そして、そのタクシーが先ほどのタクシーだと気がついた時は前方で止まり、車から降りて恩山寺の方角をさして道案内をしてくれた。

ちょうどその運転手さんは頭がお坊さんのようにツルピカで、生き仏さまに出会った気がした。

鶴林寺に好感!

恩山寺も山寺でこの坂もしんどかったが登り切ることができた。立江寺をまわり鶴林寺まで14キロカンカン照りの中を走る。

休憩に寄ったたこ焼屋さんにリュックを預ける。鶴林寺も山寺で苦労する。しかし、ここは歩いてきた人、自動車、オートバイ、自転車で来た人すべての人が1キロの参道を駐車場から歩かねばならない。

自転車で坂道をもがいて登る横をスイスイと走っていく自動車を見なれてしまった私には、これほどすべての人に平等に苦難を与えるこの寺に好感をもった。

鶴林寺から太龍寺へは別の下りの道があり近道なのだが、リュックを預けているのでもと来た道をもどる。たこ焼き屋さんで、ソーメンをいただき遅い昼食をすます。

西の高野山・霊山太龍寺

太龍寺へはロープウェイに乗れば降り口から門前まですぐだと聞いていたので、そのロープウェイを目指す。ところがどうもちがう道に入ったらしく、行けども、行けどもロープウェイは見つからない。

ロープウェイをあきらめて太龍寺までやはり坂道をのぼる。延々と続く坂道には全くまいってしまった。2キロは自転車を押して歩いただろうか。ちょうど後1キロのところで空気が変わった。霊気を感じた。

後でわかったことであるが太龍寺は東の高野山に対して西の高野山と呼ばれている霊山であり、今回のお遍路で一番印象に残ったお寺である。

苦労はしたがすごい経験をすることができた。おそらく自動車できていれば肌で霊気を感ずることもなく通り過ぎていたであろう。

すごいスケールのロープウェイ

帰りは自転車と一緒にロープウェイに乗って下山した。ロープウェイはローカルだからたいしたことがないと思っていたがこれが大違いであった。神戸の布引ハーブ園のロープウェイに匹敵するスケールでゴンドラの正面には、△○□のロゴが書いてある。

どれが△、○、□を表しているのか分からないが、それぞれが寺、行政、会社を表わしていて三者の協力で設置された全国でも珍しいロープウェイらしい。

平等寺をまわり、薬王寺のある日和佐へ向かう。千羽温泉があるというのでそれを楽しみにして20キロを走る。

お金が・・・

お目あてのホテルは満杯でことわられ、次のホテルをさがす。旅館をみつけるがカードが使えないことがわかり断念。実は現金が5千円しかなかったのである。

ホテルのリストをもとに何軒かかけ、白い灯台というホテルに空室があることがわかる。キャンセルがあったらしい。よく考えると今日は土曜日なので部屋が空いていないのは当たり前であった。

海を眼下に見ることができる部屋で温泉もあった。しかし、夕御飯は終わったとのことで、新鮮な海の幸をいただこうと楽しみにしていたので残念であった。

ホテルの受付のおじさんに足裏マッサージを進められるが、現金がないとことわる。カードで支払いができればともちかけると、マッサージをする女の人の了解を得てくれてマッサージを受けることに。

明日は室戸まで80キロの長丁場。足には少し不安を感じていたのでこのマッサージと温泉はありがたかった。ずっとみていた「冬のソナタ」の放送も全く忘れてしまっていた。日にち感覚がなくなっている。

長丁場・室戸へ(8月15日)

ホテルで朝食を食べ、8時に出発。すぐ近くの薬王寺によった後、室戸へ向かう。今日は久しぶりにくもり空で過ごしやすい。

昨日のマッサージと温泉で足は快調。日曜日だったが阿波信金のATMで現金が引き出せ、お金の心配がなくなった。相変わらず鼻がよく出る。

室戸岬まで似たような風景がえんえんと続く。宮古島のバイクコースを思い出した。まわりにゴールをめざすトライアスリート、何よりも応援してくれる人が大勢いたが、今は一人である。

ときおり追い越す歩きお遍路さんに声をかけるのが唯一の楽しみだったが、それでも追い越したのは3組ぐらいであった。何時間かかったかわからないが室戸岬につく。

番外札所・御厨人窟

そのすぐ近くに御厨人窟(みくろど)があった。ここは弘法大師が悟りを開いてその名を空海と改めたとされる所である。ここは番外だが、種まき大師さんと同様に納経していただく。その納経の仕方が他のお寺でしてもらったものと全くちがっていた。

禅宗で食事前にする作法と同じように筆を手にはさみ一礼してから墨をつけ納経するのである。ほかの寺では納経する人数が多いので惰性に流されているのかもしれないが、四国ではじめて本当に気持ちよく納経をしていただいた様に思う。

この方は60才近い女性で、太龍寺での話をすると、高野山の方角に身体を向けて座禅する大師像(ロープウェイのキャビンから見ることができた)を見て鳥肌が立ったらしい。やはり太龍寺は別格である。

くつろぐ

最御崎寺へは下に自転車を置いて山道をのぼる。695米と案内板に書いてあったのでそんなに時間がかからないと思ったがこれが間違いだった。ひょっとして標高695米なのかも知れない。とにかく狭くて急な山道で本当に疲れた。

津照寺・金剛頂寺をめぐり国道沿いの看板に出ていた、なはりホテルに予約を入れる。奈半利にあることのホテルは風呂も露天風呂があり料理もよかった。四国に来て初めて食事らしい食事ができた。

再会(8月16日)

ホテルを8時に出発。神峰寺へ。狭い山道で途中リュックを道端において上へあがる。室戸に向かう道で追い越した御夫婦にまた出会う。

神峰寺からの下りで追いついたので話をする。なんと地元甲陽園の人であった。不思議なご縁を感じた。高知に入ると国道とは別に海沿いにサイクリングロードがあり快調に走る。

ここは実業団のランナーも走っているとのことで、全長30キロあるらしい。ときおり歩きお遍路さんに出会う。

ご縁

国分寺では四国で初めてお遍路バスの団体と出会う。あまりいい印象を受けなかった。ラジオ放送の取材を受ける。(たぶん生送?)高知放送の広間さんのスタッフと分かる。広間さんは2000年四万十川ウルトラマラソンでテレビに出た時のディレクターだったのですごく懐かしかった。3人目の御縁であった。

竹林寺は五台山の山寺で最後の力を振り絞って山を登った。京都の五山と重なって何となく親しみがわいた。ここで初めて、五臓のお守りをお土産に買う。

高知港へ

フェリーに乗るのに高知港の新港へ行ってしまったので大幅に時間ロス。途中、「めしの郷」という変わった名につられて入った食堂で食事をする。バイクでまわっていた大阪の男性と再会する。銭湯に行ってきたらしく私も銭湯に行く。

高知港には7時過ぎに到着。大変混雑していたが自転車なのでオーケーだったが自動車は乗れない車があったようだ。自転車・オートバイは三宮のときと同様優先乗船できた。客室のいい場所を確保でき、先の大阪の男性と一緒になった。午後9時20分に離港。

帰途につく(8月17日)

大阪南港へは午前6時30分に着港。43号線・2号線を経由して自宅に着いたのは9時20分。なんと32キロを3時間近くかかっている。

高松、徳島、高知と色んなところをまわったが、改めて西宮市の特に苦楽園口から自宅へ向かう街並みの美しさが素晴らしい。

旅をすると今まで見えなかったものが見えてくる。これも旅の1つのよさであろう。

これから

今年のお盆休みは四国のお遍路で終わった。毎年お盆の供養は家でしているが、今年は四国でお盆の供養をしたことになる。

各寺々で修行僧の様に心をこめて般若心経を唱えた。すがすがし気持ちに満たされた5日間であった。

また、事故にもあわず無事過ごせたのは仏縁のたまものであると深く感謝している。

来年、再来年と三年がかりになるがやはり自転車で残りの八十八ヶ所全霊場を巡りたい。そして時間を気にせず、いつか「歩いて」四国を巡りたいと思っている。
  合 掌


お遍路日誌(2005年8月11日~17日)

みきり発車(8月11日)

午後9時ごろタクシーで芦屋駅へ。輪行バックは自転車や荷物を入れると20㎏位か。大型のタクシーを頼んでおいたのだが、トランクに入らず後部座席にようやく収まった。

右肩を故障しているので利き腕でない左肩で担ぐが非常に重い。ひょっとして25㎏位あるかもしれない。

JR快速ムーンライト高知は京都発なので少しでも前の駅から乗ろうと判断し大阪駅へ向かう。この電車は全車指定であるが、数日前芦屋駅に予約に行くと満席で指定券を買うことができなかった。

お盆の帰省とかさなっているのであたりまえだなあと納得してその時帰ったのだが・・・。何とかなるだろうと考えてとりあえず大阪までということで、今日早めに家を出発した。

腹をくくる

乗場は長距離列車の専用ホームと考えていたが意外にも姫路方面行きのホームだった。10時半頃だったがたいそう混んでいた。高知行きと松山行きに四国のどこかで分かれるらしい。高知行きの3号車の名札の前で待つ。

60歳くらいのおじさんと何とはなしに話をする。同じ高知行きに乗るらしい。実は切符を持っていないので空席があることを当てにしてきた旨を話した。そのおじさんは旅なれているらしく、列車がホームに入ってきたらすぐに車掌に話したらよいとアドバイスしてくれた。

最悪の場合は芦屋で降りて次の朝一番の電車にしようと腹をくくった。

もう始まっていたお遍路

列車が12時前に入ってきた。すぐに車掌を見つけ席のことを話すとグリーン車で1つ席があいていることが分かった。少し高くなるがラッキーであった。

くだんのおじさんに席が確保できたと報告し電車のいちばん前の一号車の車両に落ち着いた。周りは年配の人が多いだろうと思ったが意外にも若い人が多い。私の若い頃はグリーン車なんてとても乗れない存在であった。これも時代の流れかなとしばし感慨にふけってしまった。

席におさまると、飲み物を何も買っていないことに気づく。席の確保ばかりに気をとられていたから仕方がないとあきらめたところ、またあのおじさんがビールとおつまみをわざわざ持ってきてくれた。

お連れが電車に乗っていないとのこと。その分があまったので「どうぞ」ということであった。ありがたく頂戴する。お遍路の出だしからお接待を受けたようでこれから先順調にまわれる様な気がしてきた。リクライニングシートで快適に朝までぐっすりと眠った。

高知に到着(8月12日)

朝7時半ごろ高知に着く。大きな近代的な駅を想像していたがそこらのローカルの駅と大差がない。どうしてか自分でも分からないのだが、なんとなくがっかりしながら改札を出る。

改札の数十メートル先はバスターミナルで、柵のあるところで自転車のサイドバックのとりつけや、バイクウェアに着替えるなどしていると結構時間がかかってしまった。

輪行バック等要らないものを宅急便で送ることにした。駅には宅急便を扱っているところがなかった。でも駅前には郵便局があるだろうからそれを探すことにした。どういうわけか、あっけなく見つかった。17日付到着便で送る。

懐かしい高知

8時30分頃郵便局を出て竹林寺に向け出発。前回のお遍路では第31番札所竹林寺(ちくりんじ)が最後のお寺だった。またそこからお遍路を続けるのが作法と聞いていたことと、もう一度ゆっくりと境内を見てまわりたい気持ちが強く、今回2度目の訪問を楽しみにしていた。

前回は見ずに通り過ぎただけのはりまや橋を経由して高知市街を走る。一度来たことがあるという意識があるからか、不思議と懐かしい気持ちになった。

竹林寺は山寺で前回も苦労して登ったが今回もきつかった。ただ今回はサイドバックをつけてきたので肩への負担がなくずいぶんと楽であった。

サイドバックをつけて大正解!

前回、リュックにこだわったのには理由があった。「妻の形見を背負っていきたい」という理由であった。しかしリュックが肩に食い込む、重心が高くなって自転車に乗るのが不安定になる。特に坂道が大変だった。

特に今回は2月にスキーで肩の靭帯を痛めて、まだまだ元に戻っていないこともあって、サイドバックを取り付けることは必須であった。(Kごめんね。でも写真は持ってきているからね。)

バックはトライアスロンのレースの前や日頃のメインテナンスをしてもらっている森さんのところで取り付けてもらった。これが大正解であることが、竹林寺の登りで早くも感じられた。

肩の方は6月頃から落ちた筋肉を元に戻すトレーニングを始め、自転車も昨年より遠出する回数を増した。

古刹竹林寺を楽しむ

竹林寺は前回のあまりゆっくりとすることができなかったが、今回は一番最初のお寺ということもあって少し楽しむことにした。室町時代の禅僧、夢窓国師の手による庭園。宝物館に安置されている国宝の仏像を見る。貞観時代から鎌倉時代までの仏像があり藤原時代のものが特に多かった。

五台山は中国に実在する山で聖武天皇の勅願により行基が五つの峰からなる山容五台山に似ているというところからこの地に寺を建立したとされる古刹である。また文殊菩薩を本尊とするのは四国礼状八十八ヶ所ではこの寺だけである。

教育にたずさわる人間ゆえひかれるところがあるのかもしれない。前回買った五臓のお守りを今回も購入した。これでお土産に悩む煩悩からのがれられる。

お守りを売っておられる方、納経のお坊様も実に気持ちよく接してくださる。寺の雰囲気は寺そのものよりもそこにたずさわる人たちによって作られるといっても過言ではない。五台山を前回とは違った道を下る。眼下に高知平野の緑が美しい。

浦戸大橋をこわごわ渡る

次に向かったのはやはり山寺である禅師峰寺(ぜんじぶじ)で約8キロ先だ。のんびりとした田園地帯を走る。このお寺はお地蔵様が数多く祀られてあり山頂からは桂浜が望める。その男性的な景観をしばし満喫した。

次の雪渓寺(せっけいじ)に向かう途中で食事をする。かつおのタタキを頼むが絶品であった。そこの店員さんに浦戸大橋を渡らず渡し船に乗るのが楽ですよとアドバイスしてくれた。

その楽ということばに少し抵抗感を感じ(このへんこつおやじ!)浦戸大橋を渡ることにする。橋に近づくにつれその大きさとかなり高いところに架かった橋であることがわかる。

高所恐怖症である私には左眼下に海を眺めながらの走行はかなりの苦痛であった。店員さんの楽ということばの意味があらためてわかった。雪渓寺、種間寺(たねまじ)とも平地にあるお寺で比較的楽に走れた。

子育て観音様

種間寺は大師が唐から持ち帰った五穀の種(米・麦・粟・キビ・豆)をここに蒔いたという伝説の古刹であり、昔ながらの田園地帯に位置している。子育て観音様が祀ってあり、「安産のお薬師さん」とも呼ばれている。

『子育て』ということばに心ひかれて、山門しか写真を撮ることがなかったのだが珍しく写真を撮った。子供を左手に抱えた穏やかな観音様の表情が印象的であった。

56号線を南下仁淀川(によどがわ)が干がっている。流れているのは小川みたいな細い川で川原ばかりが目立つ。四国に雨が降らず水に困っていると後で知ったのであるが、かなりの川幅を持つ川が干上がっているのは無理からぬことだったのかもしれない

。四国に来て5日間で雨にあったのは1回だけで、しかも一時間ちょっとの雨だった。人間は自然に対しては無力だとつくづく感じる。

無理をせず

 56号線と土佐インターとが合流するあたりから清滝寺(きよたきじ)までは約1キロ程ある八丁坂という曲がりくねった急坂を登る。清滝寺の納経のお坊さんから岩本寺に行くのに、七子峠までずっと登りで大変だということを聞く。

帰りの坂で折りたたみ自転車に乗った40歳前後の男性にあった。『きつい』という。マウンテンバイクでもしんどいのに折りたたみ自転車では無理からぬことと思った。次の青龍寺(しょうりゅうじ)までは約13キロ。5時ぎりぎりにし到着。先に納経をしていただく。

ここから岩本寺(いわもとじ)までは約60キロ。少なくとも3~4時間はかかることを考え無理をせず、青龍寺の近くにとまることに決める。

先は長い。納経の女性に宿を紹介してもらう。5キロ先にその宿があるらしい。予約を入れ、先程渡った宇佐大橋をまた戻って汐浜荘という民宿へ向かう。

お遍路一日目は疲れる?

汐浜荘には5時間30分頃到着。老夫婦お二人で切り盛りしている民宿であった。私の他に歩きお遍路さんが一人先着していた。自転車のカギをつぶしていた。朝、郵便局をスタートした時にロープチェーンをつけたまま走って切ってしまったのであった。幸い車輪のスポークは無傷であった。

おかみにカギがないけど大丈夫かなと心配すると「誰もそんなもんとりゃせよ」と一言。「そうだよね。ここは都会じゃないんだ。」と納得させる自信にみちた一言であった。

着いてすぐ風呂に入る。汗ばんだ身体を癒してくれるのが風呂で、明日への活力を満たしてくれるのがビールだ。「洗濯物を出してください」と言われてびっくり。

去年は自分で洗って手しぼりをするが、脱水があまりできていないので洗濯物が乾かず朝ぬれたまま着たことを思い出した。室内には洗濯物が干せるようにちゃんとハンガーがしつらえてある。これはいい。ありがたい。

6時半頃食事。私と同じくらいの年と思われる歩きお遍路さんとご一緒する。ビールがうまい。

食後キャリングバックの整理をして午後8時には床に就き、朝までぐっすり眠った。初日はやはり疲れる。

「かなりのお年だとおもいますが・・・」と言われて(8月13日)

朝6時に起床。食事を歩きお偏路さんと一緒にとり、7時前に出発した。歩きお遍路さんは先に出発しそれを追う形となった。浦の内湾に沿って海岸線を走る。途中歩きお遍路さんに追いつき、声をかける。

23号線に合流し山道を登る。鳥坂ズイドを抜けて56号線に入る。大きなドライブインの自販機のあるところに立ち寄る。タバコを吸っている40歳前後のサイクリストが話しかけてきた。

「お顔を拝見すると、かなりのお年だと思いますが、自転車でまわっておられるとはスゴイですね。我々若いものの励みになります。」と。「かなりのお年だと思いますが・・・」というところに少しカチンときたのであるが、平静を装って「ありがとう」と答えた。

「先生、四捨五入すると60やで」という塾生達の声が頭から聞こえてきた。自分自身の気持ちはまだまだ若いと思っていても、年寄りには違いない。

私自身も三浦敬三さんを目標としているので、年上の人を目標とするのは至極自然なことであると自分を納得させた。

100歳の現役スキーヤー

三浦敬三さんはプロスキーヤーの三浦雄一郎さんのお父さんで、100歳になった今も現役のスキーヤーである。私も100歳まで現役のスキーヤーでいようと思っている。でも、三浦敬三さんのような食事、トレーニングが充分できるか疑問であるが、一歩でも近づきたい。

(今年の2月に肩の靭帯を痛めているのに、まだまだ懲りずにそう思うのはまだまだ元気ということか。)最近玄米食に変えたのは、そういう気持ちのあらわれに違いない。

くだんのサイクリストは海岸線をゆっくりと走るのが好きで四国に何回も来ているとのこと。「お遍路みたいに目的を持って走るのも面白いですよ。」とアドバイスし、色々詮索されないようそくさくと自販機のもとを離れた。

難攻七子峠

56号線を七子峠めざして約15キロを延々と登る。峠まで10個のトンネルをくぐる。この間水補給のため自販機にひんぱんに立ち寄る。

朝方、比較的涼しかったのが七子峠の手前からカンカン照りに。アイスクリーム売りが小さなパラソルを立てて客をまっている。昨年はこのようなアイスクリーム売りは見たことがなかったなあと思いつつアイスクリームを食べる。

今回のお遍路ではこのアイスクリーム屋にかなり頻繁に立ち寄ることになった。コンクリートジャングルのまさにオアシスだ。

七子峠から眺めると山間を道が蛇行しているのが見える。苦労しただけによけいに絶景に見える。岩本寺のある窪川までは下りで超快適であった。延々と登ってもいつかはくだりになる。だから何とかがんばれる。峠はまだか~、まだか~と思いつつペダルをこぐ。

折りたたみ自転車の人に再会

岩本寺で昨日清滝寺の下りで出会った折りたたみ自転車の人に再会した。彼は輪行と電車でお遍路を続けると言っていた。

マウンテンバイクでも苦戦しているのに折りたたみ自転車では少し無謀だと言おうとしたが、それをのみ込んだ。五戒である。(五戒とは不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を戒めること。)

56号線を土佐清水に向け西へ海岸線を走る。途中土佐くろしお鉄道の一両で走る列車と並走することもあった。

道路は左が崖で眼下に海を見ながら進む。途中峠にあるうどん屋で昼食をとる。アップダウンを繰り返しながら逢坂峠をめざす。

四万十川ウルトラマラソンの懐かしい思い出

峠を下って四万十(しまんと)市(旧中村市)に入る。5年前四万十川ウルトラマラソンで来たときは中村市であったが統合されたらしい。かってあったものが無くなっているのはなんとなく寂しく思うのは私だけか。

ウルトラマラソンは3回目のエントリーでようやく出場できた。マラソン仲間の川端さんの供養のため、喪章をつけて走った。大会委員長あてに出場嘆願書をそえて申しこんだことが発端で高知テレビから取材を受けた。

「遥かなる100キロ~四万十ウルトラマラソン」(平成12年11月4日放送)の1時間番組に出していただいた。テレビに出ることなんて特別な人でないかぎり、そうあるものでない。

私にとって人生で初めての経験であり、撮影スタッフとの約13時間にわたる交流は忘れられない思い出となった。だから森にいだかれた四万十川に対する想い入れは人一倍強い。

今までトライアスロン、マラソンに数知れず出場したけれど、自分の競技中の映像はこれ以外全くない。落ち込んだ時、これから何かをやろうとする時、まよった時このビデオがはかり知れない勇気を与えてくれる。

中村市に滞在したのは3日だったが、その中村市の名前がなくなったことは色んな意味で残念だった。

56号線と20号線の分岐のところにある酒販売店でトイレをかり足摺までの道を聞く。20号線で四万十川を渡り321号線へ。

四万十川はこの渇水時にもかかわらずなみなみと水をたたえ悠々と流れている。約1キロの橋は風が強く、自転車が横風に持っていかれないようにゆっくりと慎重に進んだ。それにしてもデカイ川だ。

トンネルで寿命が縮まる?

中豆田トンネルに入る。1キロはあると思われる。トンネルは曲がっているので出口がまったく見えない。普段車で通過する時は気にならないがトンネル内で車の走る音が絶え間なしに反響してすごい音である。しかも歩道は50センチくらいで、自転車で走るのは難しい。

最初車道を走っていたが、ところどころ暗いところがあって、バランス感覚が悪くなってふらついて倒れそうになる。(これも、年か?)ついに、歩道の上を自転車を押して進むことにする。

車道に落ちないように、精神を集中して進む。20分位かかっただろうか。とにかく時間が経つのが遅い。口からゆっくりと息を吐き出す立禅(腹式呼吸)で気持ちを落ち着けた。ふぅ~~。ふぅ~~。ふぅ~~。

にがい経験

かつてロードレーサーで京都から川西に抜ける時、トンネルの中に照明がなくサングラスを着けたまま突入して、まったく暗闇の中道路の端を走った。

サングラスは度つきなので、はずせば何も見えない。端の方には小石が集まっており細いタイヤのロードレサーではスリップしやすい、転ばぬようハンドルをしっかり固定し、後から来る車のヘッドライトの灯りと勘を頼りに走ったことがある。

それ以来の恐怖であった。3年寿命が縮まった。(3年と言う数字に何の根拠もないが・・・)四国のトンネルには必ず歩道がある。その歩道の幅はまちまちであるが、お遍路さんが歩くことを考えて作られているのだろう。ありがたいことである。

できれば1メートル位の幅があればいいのだが・・・。それにひきかえ京都から川西へ抜けるトンネルにはまったく歩道がなかった。

風の通り道

今回のお遍路ではトンネル、ズイドあわせて43回通過した。もう一度というと二の足を踏んでしまうトンネルも2、3あった。

2ヶ所だけ、車のトンネルと歩道のトンネルを分けているところがあった。その歩道のトンネルの一つには「風の通り道」という心を和ませるような名前がつけられていた。

車や人には、山を通過するための通り道だが、風にとってみればこよなくおもしろい通り道かもしれないなと想いながら、ただ一人ルンルンで風の気持ちになって、このぜいたくなトンネルをくぐった。なぜか坂村真民の「サラリ」の詩を想った。

サラリと  流してゆかん  川の如く
サラリと  忘れてゆかん  風の如く
サラリと  生きてゆかん  雲の如く

このようなトンネルをぜひ増やして欲しいものだ。

またもや祭りで泊まるところがない!足摺へ

土佐清水市内に入る手前で車の大渋滞に巻き込まれる。足摺祭りで花火大会があるらしい。途中で地元の人に教えてもらったホテル、旅館とも満杯であった。昨年の徳島のことを思い出した。あの日も阿波踊りで泊まれなかったな。

あるホテルで電話帳を借り宿泊先を探す。足摺テルメという国民宿舎で大広間なら宿泊できるとのこと。もう140キロ走っているが足摺に行くことを決心する。後15キロくらいだ。ホテルのオーナーにテルメまでの地図をもらい、夕暮れの道を急ぐ。

スカイラインは急でやめた方が良いとのアドバイス通り中浜、大浜の海岸線を走る。27号線に出るところが工事中であったが、自転車は通り抜けできた。

大広間で寝るのは修学旅行以来

27号線を海沿いの道を走る。アップダウンを繰り返し足摺テルメに7時半ごろつく。食事が8時までなので風呂にも入らず食堂に行く。四国はどうしてこんなに食事時間が早く終わるのだろう。

食後、露天風呂のある風呂に行く。中にはプールもあったので泳ぐ。実はゴーグル、スイムパンツをちゃっかり持って来ていたのだ。(しかし、役にたったのはこのときだけ。)去年は荷物を減らすために、自宅へ送り返したなあと思いつつ泳ぐ。ビールを飲んでいたので早めに切り上げる。

大広間ではすでに2組が布団を敷いて寝そべっていた。最終的には7組になった。歯ぎしりをする人がいる。空調の音も耳障りだ。なかなか眠れずウトウト朝まですごす。今日走った距離は156キロ。宮古島トライアスロンで155キロ走って以来の距離を走った。

伊豆田トンネルにはもう戻りたくない(8月14日)

朝7時前に出発。2キロぐらい先の金剛福寺(こんごうふくじ)へ。四国最南端足摺岬の手前にあるお寺だ。多くの観光客でごった返していた。バスがたくさん止まっている。足摺岬にも行く。なかなかの景観だ。

サイクリストにも数人会い、その一人から足摺スカイラインはなかなか厳しいと聞かされる。もと来た道を戻ることにする。昨日の工事中のところを通らず大浜トンネルに向かう。

トンネルを過ぎると長い坂道で、土佐清水市内まで楽に走れた。市内の喫茶店に入り、行き先の情報を得る。四万十市の方にもどれば次の延光寺(えんこうじ)にも近く、しかも四万十川沿いを走れるが、伊豆田トンネルを通ることと天秤にかけた。

迷ったあげく、やはり伊豆田トンネルへはもう戻りたくない気持ちが強い。不安な気持ちで行動すると事故にあう。遠くなってもいいから、別の道を教えてもらうことにする。

土佐清水市を少し出たところで、ブドウとナシを売っている店に入る。ナシとブドウを接待してもらう。

四国といえば「みかん」しか思い浮かばないので「ナシ」と「ブドウ」は意外であった。(これは私の認識不足かもしれない。)しかもめちゃくちゃ甘い。日照り続きのためだろうか。

73キロ先の「修行の道場」最後の寺・延光寺へ

28号線から県道に入り21号線をめざす。ゆっくりと登っている山道を走る。海岸線は景色がいいが太陽をさえぎるものがほとんどない。その点山道は木々で影を作っているところがあり、過ごしやすい。

道路脇にはやたらとミミズの干からびた死骸が多い。なんだ、これは。途中二度川におりて涼をとる。冷たい水が気落ちいい。三原村を抜けて46号線を経由して21号線を出る。細い道ののぼりがかなり苦しい。

遍路地図で見ると結構近くに見えるが、73.8キロある距離には変わりがない。今回のお遍路では、寺から寺までの道のりがやたらと長い。しんぼう。しんぼう。

延光寺(えんこうじ)は本によると土佐16ヵ寺で構成する「修行の道場」最後の寺とある。

56号線沿いにある延光寺を後にして宿毛(すくも)市内へ。途中いけすがある店で刺身定食をいただく。新鮮でおいしい。しかも安い。56号線を西へ向かう。

観自在寺(かんじざいじ)は非常に広い敷地に立つお寺で、大師堂では大師の木像が本当にまじかに見られた。いつもは暗いお堂の奥にある大師像を見ることが多いが、このお寺の配慮には拍手を送りたい。

あこがれの宇和島だったが・・・

56号線を北上。宇和島のビジネスホテルに向かう。距離にして40キロ位。北よりの風が強く、前に進まない。今回のお遍路ではこの北よりの風で悩まされることが多かった。瀬戸内海から四国へ吹く海陸風なのだろうか。

あれこれ考えながら走る。長い松尾トンネルを抜けて宇和島市に入る。このトンネルも長く車道を走るが恐かった。もう一度通れといわれても、できないかもしれない。

ホテルはインターネットで調べたリストの中から宇和島城跡の近くにあるリージェントホテルに予約を入れておいた。6400円のお遍路さんもてなしプランで2食付であった。

晩食はビアガーデンでバイキングだ。宇和島の町を眺めながらビールを楽しんだ。総距離144キロ。2回続けてのロングライドであった。

宇和島は幕末日本にやってきたシーボルトの恋人おいねさんのふるさとである。一度ゆっくりと来てみたいと思っていたが今回はただ通過するだけなってしまった。

仏木寺の大黒天様(8月15日)

リージェントホテルを7時半頃出発。龍光寺(りゅうこうじ)をめざす。距離にして20キロほどのところにある。国道56号線から57号線に入り宇和島のはずれから少し行ったところにある。山門がなく稲荷神社の赤い鳥居が立っている。お寺に稲荷大明神も祀られている。

神と仏が今も同居する珍しいお寺である。その名も稲荷山龍光寺とある。龍光寺から仏木寺(ぶつもくじ)までは31号線を北上し3.5キロ仏木寺という名から非常に楽しみにしていたお寺である。大黒天様がお祀りされている。

私は昨年天中殺が終わり、今年は運気の上がっていく年である。(現実に上がっているのを感じている。)納経所で七福神のかわいい人形を購入する。自分のために人形を買うことは私には珍しいことであった。

この大黒天様のことは私の持っている3冊の本に少しも紹介されていなかったのが不思議だ。しっかりとおまいりする。

雨やどり

31号線から29号線へ入り松山自動車道宇和インターからすぐ近くに明石寺(めいせきじ)がある。明石寺のかつての名は大きな石を担ぎ上げた「上げ石」が名の由来で「あげいしじ」がかつての名だそうだ。地元の人たちは「あげいしさん」と親しみをこめて呼んでいる。こういう由来もなかなかおもしろい。

国道56号線を北上、大州(おおず)市に住む知り合いの菊池さんに電話するが、結局会えないことになり、一度来たことのある町の風景を眺めながら通過する。

内子(うちこ)で379号線に入って、しばらくして雨にあう。どしゃぶりで雨雲が空を完全におおっている。雷が聞こえるのでにわか雨だと思った。ギフトショップの店で雨宿りさせてもらう。

店の人にサランラップをもらってライトとスピードメーターをカバーする。小雨になったところでまた走りだすが身体が冷え切っている。カカフェレストランに入って暖をとる。温かいコーヒーがおいしい。

峠をこえれば、懐かしい日本の原風景が

1時間半ほどロスして出発。身体を冷やさないようパーカーを着る。若い学生さんのサイクリスト2人とすれ違う。彼らもびしょぬれだ。

今日の宿泊は古岩屋荘を予約。雨宿りなどで7時ごろになるだろうと電話を入れた。397号線で分かれて380号線へ真弓峠回りを選択。延々と8キロにわたって上る。

真弓トンネルの手前の三島神社の近くに歌(うた)先生が主宰するお遍路小屋プロジェクトが作ったヘンロ小屋があった。真弓トンネルを越えた山間の村では盆踊りの準備をしていた。

日本の原風景を見ているようで懐かしい気持ちになる。こういう昔から続いていることは後世に伝えていかないといけないと思う。

遠い古岩屋荘、つのる不安

380号線を33号線の分岐で左へ行くところを右へ行ってしまったらしい。これでずい分と古岩屋荘が遠くになってしまった。ただ川沿いにくだりが続いたので楽は楽であった。美川(みかわ)村に入ってまったく人に会わない。

苦労して見つけたアベックに古岩屋荘までの道を聞く。あと10キロはありそうだ。山の日暮れは早い。車がまったく通らないし、街灯はまったくないのでヘッドライトを頼りに走るが手探り状態だ。暗闇の中に放り出されたようで不安が募る。

立禅で心を静める。やっと岩屋寺(いわやじ)の入り口につく。ここには申し訳程度の街灯があった。薄明かりの中、お遍路さんの仮眠所らしきところに自転車があり、お遍路さんが一人寝ている。

後2.5キロである。暗闇の中目を凝らしながら、もくもくとペダルをこぐ。明かりらしきものがちらちらと見えた時は本当にうれしかった。こんなにも明かりがありがたいと思ったことは、今までなかったのではないだろうか。

今日もよく走った

古岩屋荘についたのは8時前であった。1時間近く遅れたことになる。食事時間がまたまた8時までなので、とりあえず新しいポロシャツと半ズボンに着替えて食堂へ。食事はもう用意してあって、生ビールを一気に飲み干し、2杯目をいただく。

食事にはいつもせきたてられる。風呂は岩で組んだ浴室でなんとも気持ちがよい。風呂の近くには有料洗濯機があり汗と雨でぐしょぐしょになったウェアを洗った。この洗濯機は本当にありがたい。昨日あまり寝ていないのと、今日も121キロ走っているので10時ごろから爆睡した

霊山岩屋寺(8月16日)

午前7時に朝食。フロントでチェックアウトするがカードが使えず(四国はこれが多い)後日振込みすることにしてもらった。順番からいくと大宝寺(たいほうじ)が先なのだが岩屋寺へ行くことにする。

初めての逆まわりであるが順通りにいくと1時間以上ロスするので決断する。古岩屋荘から岩屋寺まで約2.5キロのくだりで直瀬川を渡り有料駐車場に自転車を置き歩いて岩屋寺をめざす。かなりの勾配である。途中から階段になるがこの階段は曲がりくねって岩屋寺へと続いている。

岩がオーバーハングになっているその下に本堂がある。ちょうど岩のほら穴に本堂があるようなかっこうになっている。ここの本堂は大師堂よりも小さい。それはご本尊の不動明王が二体あって、本像の方は本堂に安置してあるが石造のほうはお山に封じ込んである。つまりお山全体がご本尊様ということなのである。

オーバーハングになっている岩場には、いくつもの穴があり、そこで弘法大師が修行したことのこと。その迫力に思わず身がすくむ。まさに霊山である。今回のお遍路で、一番印象に残ったお寺である。今いるのは、私一人。静寂の中でこの霊山を独占している。

納経所でB5版わら半紙に刷った「あなたは他人様のために何ができますか?」という題のチラシをいただいた。今までこのようなメッセージを文章の形でいただいたのははじめてであった。その心配りがありがたい。

お遍路の意味

下りの石段の下の方で一組の御天婦にお会いした。ご主人は足が悪そうで階段に沿って取り付けてある手摺を頼りに上がってこられる。それを奥さんがそばでかいがしく付き添って助けておられる。お遍路では病気を克服するため、心を癒すためにこられる方も多いと聞く。

下の茶店に立ち寄ると、そこの女将が「先ほどのご主人は脳梗塞で体が不自由になって、お遍路にこられた」と話してくださった。こういう人達にはこの岩尾寺はとてつもなく難行になるだろう。

ロープウェイをつけてほしいという希望も多いらしいが、お遍路を一つの修行と考える本来の姿からして邪道であろう。便利さが人の心を怠惰にしてしまう。それは日常生活の中でいやという程みせつけられているではないか。

私の目的どうか。今や、当初の目的であった亡き母が歩いたことの追体験と先祖供養だけではない様な気がしてきている。2回のお遍路のあと、不思議なこと、不思議なご縁に恵まれている。それは何故なのか。何か掴めそうでつかめないもどかしさがある。第八十八番札所大窪寺(おおくぼじ)に行き着くまでに掴めるのか。走り続ける以外ない。

三坂(みさか)峠

もときた道をもどり大宝寺(たいほうじ)へむかう。比較的広い道の12号線を走る。大宝寺口からの坂を登り自転車を止めて3メートルはあろうかと思われる大わらじが左右に祭ってある山門に入る。蜂がよく寄ってくる。汗ばんだ身体に蜂を誘引する何かが含まれているのだろうか。

大宝寺からの坂道を下り33号線にぶつかって松山方面へと向かう。風は向かい風。進まない。そして少しずつのぼり勾配になっているようだ。三坂峠に向けて少しずつ歩みを進めるといった感じだ。

途中四国にもスキー場があるとは聞いていたが久万(くま)スキーランドの入り口が進行方向右側にみえた。さらに登ると三坂峠だ。後で聞いた話であるが峠の右側からは松山のすばらしい景観が望め、ハングライダーも飛んでいるらしい。

そんなことも知らず、その三坂峠をこえ下りに入る。ワインディングロードをかなりのスピードでかけおりる。長珍屋の看板のところを右に折れなさいと、岩尾寺の茶店の女将に言われていたので行き過ぎないようにと慎重に下りるが、少し行き過ぎてしまう。

200メートル程戻って教えてもらった近道を下る。道幅が狭くかなりの急坂である。三坂峠から下るときもブレーキを握りっぱなしなので、手の握力が落ちている。慎重に下る。V字谷の下のほうに降りていく。すばらしい景色であった。

四国の農業が変わってきている

途中キウイフルーツの樹林があり、その持ち主と話す。「西宮から来た」と言うとあまりピンとのないので、「神戸から」と言うとすぐ分かったようだった。(これからは西宮の案内パンフレットを持ち歩く必要がありそうだ。)

その同年輩と思われる人はえらい遠くから、しかも年寄りが自転車でお遍路をしていることに少しびっくりしていたが、こっちはキウイフルーツにびっくりであった。

土佐清水市街のナシ・ブドウといい、四国の農業が変わってきていることが身をもって感じられた。

一気に4寺をまわる

浄瑠璃寺(じょうるりじ)と言う名のお寺は奈良にもあり、私のお気に入りのお寺の一つである。納経所の女性から浄瑠璃寺の由来を聞かせてもらう。ご本尊が薬師如来なので浄瑠璃浄土の名にちなんでいると言う。

ここで接待用の冷たい水があり、その女性にすすめられて空になったボトルに入れる。接待用の水をおいてくれているところは今までなかったように思う。うれしい心遣いである。

次の八坂寺(やさかじ)は浄瑠璃寺から800メートルのところにある。ここは非常ににぎやかで色彩豊かなお寺で朱の色がいたるところに塗られておりカラフルなのぼりが何本も立っている。ちょうど万灯会が15日にあった名残なのかもしれない。

アイスクリームの露天でアイスクリームを買う。岩尾寺であった御夫婦に再会する。西林寺(さいりんじ)へは約5キロ。207号線・40号線を北上する。途中うどん屋で昼食を。人がいっぱいだ。西林寺から浄土寺(じょうどじ)まで約3キロを走る。

ゆっくりとした時間の流れを感じる

40号線を北上。また繁多寺(はんたじ)までは2.1キロ。お寺の前、でまたまたアイスクリームを。(いくつ食べるんだ!!)おばあさんが露天商のおじさんの横に席かけていた。

「学生さんか?」と聞かれて、しばし絶句。目を悪くしておられるか、もしくは自転車で来るのは学生しかいないと思い込んでおられるのだろう。「ありがとう」とお礼を言った。いずれにしても80歳位のそのおばあさんからみれば私たちはいつまでも若僧にちがいない。

池をバックに2人のツーショットはなんともユーモラスでゆっくりとした時間が流れているのを感じ、なんとなく幸せな気持ちになった。そのおじさんに教えられていよいよ最終のお寺、石手寺(いしてじ)へ。

老若男女が集まる石手寺

石手寺は終着のお寺にふさわしくいいお寺であった。それに老若男女がたくさん集まっており、お遍路さんよりも地元の人たちが多いのであろう。回廊形式の参道の両側に店が並びさながら縁日のようである。

「マントラ仏の生命の流れ」の案内のある所より洞内巡礼をする。洞窟の両側に石仏が並んでいて、幻想的で不思議な世界であった。最後の出口が大師堂の裏側にあった。石手寺を後に道後温泉へ。約2キロ位か。

道後温泉の元湯へ

お遍路の疲れと汗を落とすため元湯の本館に入ることにした。すごい人だ。がらんとしたお遍路のお寺をまわって来た私には、一気に都会に引き戻されたように感ずる。

道後温泉の湯はすごく熱い。温泉に行くと、いつもは半身浴で長時間入るのだが、5分と入っていられない。足と腕がチリチリに焼けているせいもあるのだろう。カラスの行水よろしくすぐにあがり、外に出た。

外のほうがよっぽど涼しい。外側にはくくりつけの長椅子がありそこで涼む。60過ぎの男性に声をかけられる。話していると塾をやっていたとのこと。しかも石手寺の中でやっていたと聞かされびっくり。

石手寺の先代和尚さんのたっての頼みで、やり始めたとのことであった。今はリタイヤして毎日温泉に通っているとのこと。「世の中よくするプロジェクト」の構想を述べ、一緒にやりましょうと話した。次回は石手寺が最初のお寺になるのでまた再会することを約して、観光フェリー乗り場へ向かった。

今年も終わった

平和通り405号線を西へ。途中ATMで現金をおろす。フェリー乗り場には8時頃につく。フェリー乗り場にあるビルの2階で食事をする。海を眺めながら少し生ぬるい風の中、ビールの冷たさが気持ちよかった。

「今年も終わったなあ」としばし感慨にふけった。9時30分頃から切符が発売される。予約しておいたのでスムーズに切符を買うことができた。フェリーは10時40分に出発。大部屋であった。疲れていたので朝まで結構眠れた。ただクーラーが効きすぎているので少し寒かった。

オアシスロードから苦楽園へ(8月17日)

朝7時頃六甲アイランド港に着く。43号線を経由してオアシスロードに入り夙川から苦楽園口へ。阪急苦楽園口から西へ向かう道を自宅へと走る。

最近は旅から帰ってくると、必ずこの道を走る。帰ってきたと言う実感が心底わいてくる。今年は31番札所竹林寺から51番札所石手寺まで20寺めぐった。距離にして560キロ。峠ごえが多く、

トンネル・ズイドウ合わせて43(トンネルの単位ってなんだろう?)を通った。昨年は24のトンネル・ズイドウを通ったが、一度も怖いとは思わなかった。

徳島~高知に比べると、高知~松山は男性的な景色が多かった。また、北よりの風に終始悩まされた。おしりが汗でかぶれていてかゆい。(有馬温泉で直すか。)

来年はいよいよ最後の仕上げの松山から徳島までのお遍路となる。今年も無事事故にもあわず、分岐のところで必ず道案内の方が待っていてくれた。感謝している。
合掌


お遍路日誌(2006年8月11日~17日)

フェリー(8月11日)

午後10時35分発のフェリーに乗るべく8時30分頃自宅を出発。夙川、2号線を経由して43号線へ。六甲アイランド港のフェリー乗り場に向かう。

昨年はちょうどこの六甲アイランドから自宅に帰っているので、道筋は分かっていたが、余裕を持って出発することにした。9時30分頃に到着。フェリーの予約はしてあったが、チケット売り場は長蛇の列であった。

フェリーには何回も乗っているが、毎回毎回このチケットを買うのに並ばなければならない。何かいい方法はないものだろうか。是非改善して欲しいものだ。

フェリーに乗るのは殆どが自動車であるが、バイクは20台位、自転車は私一人であった。1ヶ月以上前にインターネットで予約を試みたが、2等客室しか空いてなかった。

お盆の帰省の時期に重なっているので仕方がない。2等客室はもうすでにびっしりと布団が引いてあり、場所が決まっていた。今までは、自由に場所取りをしていたが混乱をさけるための方策だろう。

客室の前で係員が案内してくれていて、入り口近くの場所に落ち着く。もう数人の人が寝そべっていた。お遍路に対する準備が殆どできていなかったのでラウンジで当面の案を練る。11時30分ごろ就寝。

石手寺からお遍路を再度スタート(8月12日)

定刻通り7時30分松山観光港に接岸。5分程前に船倉の方に移動するが、自転車がない。少しあせったが、移動されたのだろうと気を取り直し、バイクをおいてあるところを探す。結構離れた所に見つけるが、勝手に移動するのはどうかと思う。メモを置くなどの心遣いがほしかった。

観光港を8時前に出発。昨年観光港に向けて走った道を逆に石手寺に向け走る。51番札所石手寺には8時20分に到着。先祖供養、私のゆかりの人々の供養そして遍路結願(けちがん)を願い、心を込めてお祈りする。まだ朝方で人もまばらで、ゆっくりと御経をあげることができた。

石手寺をあとにして50番札所繁多寺近くに最近引っ越した谷本さん親子をたずねた。読書くらぶに通塾していた洸樹君が自転車で待ち合わせのバス停まで迎えに来てくれた。

谷本さんの実家ではちょうど引越し荷物が着いて、それを運び入れているところであった。洸樹くんのおじいちゃん、おばあちゃんとは初対面であったが、暖かい接待をうけた。座敷にはお遍路巡拝の掛け軸がかけてあり、随分と長くかかってまわったが、いまや家宝になっているとおじいちゃんが話してくださった。

私も今回が88番札所大窪寺まで結願巡拝の旅である。今までお寺だけを目指して、人を訪ねることはなかった。今回がはじめての寄り道であったが、なんと縁起のよいことか。不思議なご縁を感じた。

仏教の教え

谷本さん親子と歓談したあと10時20分出発。もと来た道を戻り観光港を経由して52番札所太山寺に向かう。三の門に「みつばちに注意、山門の地中に巣」という貼り紙。人が近寄らないよう糸が張ってある。
都会ならすぐにでもこのみつばちの巣は撤去してしまうだろう。そこはお寺である。みつばちと人を同列に見ている。生きとし生けるものの共存を図るというのが仏教の教えである。最初のお寺で心なごむ光景に出会ったのはこれからのお遍路に明るい予感を感じさせた。

53番札所円明寺は地図では2.3キロとなっているがオドメーターでは1.7キロですぐに着いた。円明寺は「和気の円明さん」の名で親しまれているこぢんまりとした住宅地に建つお寺である。

次の54番札所延命寺までは38キロ。196号線を走る。伊予鉄道と併走することも。左手は海岸線なので冷気がほどよくあって気持ちがいい。誰も歩いていない歩道を快調に走る。

途中、海鮮北斗というお店で少し遅めの昼食をとる。さしみ定食2000円ふんぱつ。新鮮な魚が実においしい。西宮ではとてもこの値段では食べられないだろう。

食事はお遍路では唯一の楽しみである。食後コーヒーを飲みながら次の予定を立てる。今治港の近くにある今治プラザホテルに予約電話を入れる。毎回の宿泊地は昼ごろまでの進み具合やお寺の間の距離を考えて決めている。

パンク

北斗2時頃出発。太陽はますます輝きをましカンカン照りの中を走る。途中196号線が347号線に変わっている。196号線のバイパスができたのだろうか。私の持っているお遍路地図帳と実際とが随分と変わっている。

車道が狭いうえ舗装状態が悪いので歩道を走る。突然ガタゴトと後輪に異音がする。サイドバッグのベルトが絡まったのかなと止まって調べると異常はない。そのまま走るがやはりおかしい。やっとパンクだということに気がつき、よく見ると5センチぐらいの釘がタイヤにささっている。携帯してきたチューブに取り替えるのに20分近くかかった。

パンクは一昨年お遍路を始めてから、今回が初めての経験である。車道より歩道の方が釘の落ちている確率は高いと考えられるのでこれからはできるだけ車道を走ることに決める。チューブを調達しないと安心できない。

チューブの交換はトライアスロンで一度経験があるが、チューブそのものの修理はやったことがないからだ。延命寺には4時39分到着。出発する前に聞いていた「女へんろ元気旅」の著者森春美さんが寄進した石碑をみつける。知り合いの人のゆかりのものを見つけるのはやはりうれしいものだ。

初日は無理せず

プラザホテルはJR今治駅の近くにあり、今治港にも近い。5時30分にチェックインした。昨年もそうであったが、お遍路一日目は無理をしないと決めている。

自転車はホテルの事務室に置いてもらえることになったが、食事は団体の貸し切りで用意してもらえないことが分かる。とりあえず部屋でシャワーを浴び、コインランドリーでバイクウェアの洗濯をする。ウェアは汗まみれで水洗いでは汗臭さが残るので毎日洗っている。

シティホテルに泊まる理由はすぐにシャワーを浴びることができることと、たいていコインランドリーが用意されているという単純な理由からだ。

7時30分頃ホテルの人に食事のできるところを教えてもらって外に出る。教えてもらった店は家族連れが多く敬遠し、10分ほどうろうろとした後「今村」という和食の店に入る。カウンターがあり一人でも気兼ねなく食事できた。

この店は品数の割に安く、本当にこれていいのかと思うくらいだった。しかもおいしく表彰ものだ。1時間程してホテルに戻り明日の準備をする。窓を開けるとしまなみ海道の橋がライトアップされて美しい。9時にベッドにつく。

ゆっくりとした時間のながれ(8月13日)

5時30分起床。準備する。今日も団体が優先で朝食がすぐに食べられず、7時少し前に朝食。7時20分ホテル出発。

すぐ近くの55番札所南光坊へ。納経所に手作りの小物入れが箱に入っている。「どうぞ、お持ち帰り下さい」と貼り紙がつけてある。こんなお接待もあるのだなと思い、茶色の水玉模様のものをいただく。

今治の大通りを走って56番札所泰山寺へ。珍しく山門のないお寺で建物も新しかった。納経所では納経をして頂く方の横の机の上に白い犬が寝そべっている。心が和む。犬とか猫は人の心を開いてしまうところがあるようだ。

またお寺の犬や猫はムダ吠えせずおとなしい。私の菩提寺である仏国寺でも同様で、彼らにストレスがないからかもしれない。お寺では時間が本当にゆっくりと流れているのを感ずる。

地図を見ながら先に進むが、今治市内のお寺は本当にわかりにくい。57番札所栄福寺では「長寿手拭い」を買う。私も今年で59才。こういう物に手が出るようになった。母の生きた74才までは生きようと思う。

58番札所仙遊寺へは約3.8キロ。2キロ近く坂道をのぼる。仙遊寺の大きな山門が見えた。その上にあるお寺まで歩くことにする。ちょうどお寺から下ってきた若いお遍路さんにどれくらいの道のりだと聞くと、200メートルぐらいだという返事が返ってきたが実質はもっとあったのではないか。

だいたいこの手の質問に対して、短かったためしがない。曲がりくねって上にのびる階段を登った。この階段にかぎらずお寺の階段は少し歩幅が微妙に合わず、違和感をもつことが多い。途中小さな祠の中に大師御加持水の水ためがありタオルを水にぬらし涼をとる。

それにしても仙遊寺本堂の裏手にある展望台からの眺めは素晴しく、眼下に広がる平野の緑がまぶしい。下からの風が絶えず流れていて本当に涼しい。仙遊寺には宿坊もあり、温泉があると聞いたが、そうであれば今度は是非泊まってみたい。

国分寺

山を下り、頓田川を渡って59番札所国分寺へ。国(國)分寺と名のつくお寺は四国では阿波(徳島)の第15番、土佐(高知)の第29番そして伊予(愛媛)の第59番、讃岐(香川)の第80番。あわせて4寺である。

天平13年(741年)聖武天皇が護国安泰の国分寺、国分尼寺を建立する詔勅を出されたのは中高生の歴史の教科書にも出ている。いずれも行基が勅命を受けて造ったという。

奈良の東大寺は総国分寺である。人が集まりやすいように平地に建てられている。

この国分寺の前でタオルを販売している五九楽館の若い店主徳永忠介さんが、自転車を止めて国分寺に向かおうとすると、「お接待です。」と言って小さな白いタオルを手渡してくれた。

国分寺にお参りした後、バンダナのような汗取りを買おうとお店に立ち寄った。お遍路さんの足取りを残すノートに記帳した後、白い手ぬぐいに私の座右の銘である「みる前にとべ」を刺繍してくれた。

この店で買った紫色の麻のたて長のスカーフは今回の遍路でたいそう役に立った。頭に巻いて結んでもかなり余るので、首にも巻きつけることができ首の前で結ぶことができた。汗取りと首の日焼け止め、水にぬらして首の冷却と1枚で何役もこなしてくれた。

西宮から持ってきたゴルフ用のネッククーラーはほとんど役に立たず、このスカーフを今回のお遍路中ずっと使った。

歩きお遍路さんが2人入ってきて、徳永さんと話し出した。その会話を聞いていると、70才はこえているだろう方のお遍路さんが「横峯寺は焼山寺や太龍寺に比べると、それほどきつくない。」というものであった。「それなら、だいじょうぶだな。」と内心思ってしまった。

この言葉を真に受けてしまって、後で大変な目にあってしまったのだが、「先入観を持って望んではいけない」という貴重な教訓を学んだ。

迷走

61番札所香園寺はお寺と言うよりも講堂という感じで、お寺の体をなしていない。

たくさんの人が座れるように椅子がたくさん設置してある。何に使うのかよく知らないが、もはやこれはお寺という範疇に入らないように感じた。お祭りしている大きな大日如来は金ピカで非常にきらびやかであるが、なんともいえない違和感を覚えた。居心地悪く、そそくさとお寺を後にした。

寺を出て11号線にはいるが、どういうわけか左の方向へ行ってしまった。61番札所から62番札所宝寿寺までは2キロとなっているがなかなか案内標識が出てこない。

もう一度地図で確認すると反対に来ていると、やっと気付いた。逆に戻るが、この時間のロスがあとあとこたえた。時間は2時30分。先に60番札所横峰寺に行き62番、63番へ戻るか思案のしどころであった。

結局62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺を急いでまわり横峰寺へまわることを選択することにした。急いでいたのか珍しく吉祥寺の山門をカメラにおさめるのを忘れてしまった。

甘かった考え

3時頃、11号線から142号線に入る。最初から坂道である。距離にして横峰寺まで12キロ。延々と黒瀬峠を登りやっと登山口に出る。上野原の大駐車場で水補給をする。

ここからマイクロバスが出ているようだが自転車で登ることに決する。途中自動車の通行料を取る料金所があり管理人のおばさんと話す。「あと1時間で6キロはしんどいのでは」と言われるが、後6キロ何とかなるだろう。「だいじょうぶです」と言って山道を登る。

道が狭くしかも道が悪いのでジグザグ走行もままならない。かなりの急勾配である。今までで、一番きついのではないか。今日国分寺のお遍路さんの言っていたのとずいぶんと違う。甘くみていた。

5時までの納経に間に合うか微妙になってきた。オドメーターは自転車に乗っていても4~5キロしかでていない。歩いて自転車を押す。少し緩やかになったところでは自転車に乗るといったことを繰り返す。

自転車を置くことを考えたが、お遍路を始めたときからどうしても上がれないところは自転車を置いて歩いたが、それ以外は自転車と共に巡拝してきた。

私の場合は『同行二人』であると同時に『同行二輪である。』懸命にひたすら登る。あと駐車場まで1.5キロのところまで来る。先の管理人のおばさんから駐車場の1キロ手前にお寺へ登る道があると教えられていたのだが、登ることに気をとられどうも見過ごしたらしい。

あとで分かったことだが、この道を登れば10分はかからない。駐車場への道を最後は立ちこぎでこぎ続ける。駐車場の手前にお寺に下る道がある。

着くやいなや、その入り口に自転車を止め。鍵もかけず、ズタ袋を持ってヘルメット、手袋をつけたまま500メートル駆け下りる。わき目も振らず、ひたすら走る。

門限に間に合わない

もう私の時計は5時を少しまわっている。納経所に着いたのは5時10分。走り出した直後、年配の親子に「横峰寺の住職は時間にきびしいからな。」と聞かされていた。

納経所に着くやいなや、もう閉じてある納経所の横のベルを祈るように押した。ダメでもともとと言う気持ちであった。幸い門前払いはくわずにすんだ。

私より少し上と思われる女性が出てきて、私のいでたちを見て、全てを察してくれたのか「まだ、筆を洗っていないから。」といって、納経してもらえることになった。

そして「もう、いいお年なのですから無理をなさらないようにして下さいね。」と一言。年はとっても、お寺で聞く法話は小さい頃から素直に受け入れるように育ってきた。

弘法大師さんからのお声としてありがたく受け取り、「ありがとうございます。」と返答した。

しかし一方、頭の別のところでは、あきらめず必死になってやろうとする私がとても好きだと肯定している。

2回目のお遍路の後、森晴美さんからサムエル・ウルマンの詩を教えてもらった。その詩「青春」の一節が浮んだ。私は58才の青春を自負する。

青春とは臆病さを退ける勇気
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
時には、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

人気のない境内の、本堂と大師師堂をゆっくりとおまいりした。実は私の時計は5分進んでいる。何年かかけて5分進んだのだと思う

が、少し時間にルーズなところがある私にはこのことはとてもよいと思っている。今回もそれが幸いした。先程5時10分に着いたと書いたが実際の時刻は5時5分頃だったと思われる。

のどの渇きをおぼえ、自販機を探し当ててコインを入れるがコインがもどってくる。電気が切ってある。のどを渇かしたまま山を下る。道が悪いので慎重に下りる。ブレーキを握る指がしびれてくる。途中上野原の大駐車場で水の補給をする。

また遍路地図に載っていた今日の宿の玉乃家さんに予約の電話を入れる。こういうときの携帯電話は本当にありがたい。

玉乃家さんのご主人は居合道の師範

行きに登って来た横峰寺の登山口を黒瀬峠とは逆の広いほうの道12号線を下る。途中緑深い木々の中、濃緑の水をたたえた黒瀬湖が美しい。

山と山との間を松山自動車道がかかっている。かなりの高架になっている。以前何回か松山自動車道を走ったことがあるが、ここを走っていたのだと思うと少し恐怖心がわいてきた。

今までこういう景色を見ていなかったので気にもとめていなかったが、地震でもあればと思うと少し寒気がする。阪神淡路大震災は深く私の心にその痕跡をいまだに、とどめている。知らない方がいいこともあるのだなあと考えつつ、加茂川に沿って下る。

12号線、19号線を乗り継ぎ、11号線に出て、JR伊予西条駅をめざす。加茂川を渡る。かなり川幅の広い川なのだが、水の流れはほとんどなく河原になっている。多くの人たちがバーベキューをやっている。今年も四国は水不足なのだろう。

玉乃家には7時頃に着く。赤いポロシャツを着た60歳くらいのご主人がフロントで待っていてくれた。

自転車を駐車場に置き、チェックインした後すぐにシャワーを浴び、ホテル最上階にあるランドリーで洗濯をした。ここはランドリーが珍しく無料であった。となりの居酒屋で食事。

1時間程してホテルに戻るとフロントに出迎えてくれたご主人がいる。駐車場からフロントに行くまでに「居合道」の案内があったのでそれについて聞いてみた。

田宮流旧西条藩武芸(西条市無形文化財指定)の師範をしておられ、武芸についての話を楽しく聞かせてもらった。この田宮流は「どんな手段を使ってもよいから生き残る。」ことを最優先する流派らしい。

「宮本武蔵も晩年を除いて同じ考えで行動していたから生きのびた。」とのこと。正々堂々と言うのが大方の武士道に対する見方であるが正々堂々とやっていては勝って生き残れない。「卑怯」と言う語はここでは存在しないのだ。

また木刀とそれをおさめる手作りの紙製のさやを使って刀の納め方をみせてくれた。さやの納め方で流派が分かるらしい。少し疲れたので話の切りのいいところで辞することにした。そのまま9時頃就寝。

遺影をもった人(8月14日)

ホテルの喫茶室で朝食。7時48分出発。5~6分走ったところでオドメーターがないことに気付き、ホテルに戻る。オドメーターがないと距離が分からないので、予定がたてられない。そういう意味では自転車で移動するときの必要不可欠なグッズだ。気を取り直して出発。

加茂川を渡って64番札所前神寺へ。11号線を65番札所とは逆方向に走る。8時頃到着。前神寺は平地にあるお寺で広い敷地を持ち、まわりが木々に囲まれたお寺らしいお寺である。

石鉄権現の別当寺にもなっており石鑓山の「お山開き」には前神寺に参拝し、ご本尊に祈願をしてから登山するらしい。朝はあまり人影もなく数人がお参りに来ていた。

その中に私と同世代と思われる男性が奥さんの遺影を持ってお参りをしている。心が痛む。声もかけられず、少し会釈するのが精一杯であった。

亡くなった人の供養のためにお遍路をしている人も多いと聞くが、私もその一人には違いはない。

自転車店発見!!

次の65番札所三角寺までは47キロの長丁場。11号線をもと来た方向へ戻る。右手に松山自動車を見ながら西条市から三島市に向けてひた走る。

国道のところどころに水田があり、その横を通る心地よい冷気を送ってくれる。天然のクーラーだ。『涼しか~。』

11時ごろ三島市の手前で「スプリング」と言う屋号の自転車屋さんを発見。スペアのタイヤチューブを購入する。それまではパンクするのが恐かったが、これで解消される。

初日のパンク以来、歩道をさけほぼ車道を走ってきたが、時として歩道の方がいいときがあった。これで気兼ねなく歩道も走れる。

65番札所三角寺は三島・川之江インターの近くにあり、11号線から333号線に入り山手を登ったところにある。分岐点のところで車道と遍路道の案内があり、この時もどういう心境かフラフラと遍路道の方へと行ってしまった。

暑さで色んな判断が狂ってしまったのか。

迷子になる

農業用に使われていると思われるコンクリートで舗装された細い道を登る。最初は緩やかであったがだんだんと険しくなり、自転車をおりて自転車を押す。

しかし山道はさらに険しく道幅も狭くなり、とても自転車を押して登れないようになった。10キロを切るロードレーサーなら担いで登れたかもしれないが、今乗っているマウンテンバイクは15キロ位ある。サイドバッグを合わせると20キロ近くにもなる。とても担げない。

そこで自転車を置いて、歩いて登るか、それとも戻るかの選択を迫られた。折角ここまで来たのにと言う思いもあったが、結局もどることにした。

今までずっと自転車でお寺の山門まで登ることにこだわってきた。お遍路では一人でお寺を巡っているのでなく、お大師さんと一緒に巡っているという「同行二人」(どうぎょうににん)と言う考え方をしている。私は同時に自転車とも同行している。先にも書いたが「同行二輪」である。

もと来た道を戻る。回りはみかん畑で、自動のスプリンクラーが水撒きをしている音がするだけで人気がない。どうも迷ってしまったようだ。幸い自動車が山の方に登るのがちらっと見えた。

その方向に向かうと車道に出ることができた。寺への標識も見つかり、狭く急な坂を登る。この坂は4キロ近くあり、かなり苦労する。三角寺に着いたのは1時過ぎで、途中の道草で1時間近くロスしたようだ。これが次の雲辺寺に大きくしわよせが来た。

三角寺の仁王門まで急な石段を登る。この大師堂は本堂のあるところからさらに石段を登ったところにあり、靴を脱いで板の間に上がるようになっている。今回のお遍路の中で一番印象に残った大師堂である。ゆったりとおまいりができた。

山道を下って192号線に合流し、次の雲辺寺に向かう。金生川に沿って192号線を走る。川之江市街にある椿堂を越えると、坂道が5キロ近く続く。

3時30分、峠になっている境目トンネルを越えると少し下ったところにうどん屋があり、食事と雲辺寺についての情報をえることにした。昨日は時間に追われて昼食抜きだった。時間が心配であったが、「腹が減っては、いくさはできぬ。」と理屈をつけて食べることにした。

雲辺寺ロープウェイまでの遠い道

そこの主人に雲辺寺までどのくらいかかると聞くと「20分位かな」と言う返事。雲辺寺まであと14~15キロはあるのでおかしいと思い、「自転車では?」と質問を変えた。「え!自転車ですか?」。

20分と言うのは自動車でと言う意味だったようだ。この世では全ての基準が自動車になっていることに、あらためて気づかされた。「どんな道か」と聞くと「境目トンネルの手前の坂よりもう少し急かな」とのこと、暗雲がたちこめてきた。

雲辺寺にはそのまま192号線から分岐した8号線を走り、まんだトンネルをこえてロープウェイをめざすか、山道を登って雲辺寺まで登るかのいずれかであるがもう4時前である。

三角寺の下りで出会ったおじいさんに雲辺寺のことを尋ねると「山道を走ったら今日中には着くだろう。」と言われたことを思い出し、迷わずロープウェイに乗るほうを選択する。

8号線からまんだトンネルに向かうが4キロの坂道が続く、短いトンネルを抜けた後は下りであった。なかなかロープウェイが見つからない。行き過ぎたのではないかと気をもむ。もっと標識を出してくれていたら助かるのだが・・・。

五郷ダムを越え変則の交差点を右へ迂回すると、雲辺寺まで3.4キロという標識が出ている。ずっと下りで平地からロープウェイが出ていると想像していたが、それは見事に裏切られてしまった。残り3キロは坂道を登るということが分かる。心なしか気落ちするが、気を取り直して山道にアタックする。

今日も無理をしてしまった!

とにかく時間的にギリギリなので、最悪の場合ロープウェイ付近に宿泊するしかないと思い、ロープウェイに直接電話をかけてみた。すると宿泊するところは「ない」との返事。私が「こまったなあ~。」と言うと、すぐその後「5時のロープウェイに乗れば、納経してもらえますよ。」という係員の救いの言葉が帰ってきた。

「とにかく頑張ってそちらに向かいます。5時までに着くよう努力しますから、待っていてくださいね。」と返答した。残り3キロを必死で登る。またまた、横峰寺の再現だ。もう時計も見ず、ひたすらこぎ続ける。

なんとロープウェイ乗場に着いたのは5時5分前であった。人間追われれば思わぬ力が湧いてくるものだ。頭の上から「無理をなさらずに・・・。」と言う横峯寺での言葉が聞こえてきた。あ~あ~、今日も無理をしてしまった。

5時出発のロープウェイに乗るのは私一人であった。ロープウェイの近くの売店も店じまいをしつつある。下りのゴンドラと途中ですれ違った。10数人乗っている。こちらは一人なので下りのゴンドラの乗客は少し驚いたような顔をしている。

ロープウェイをおりるとお迎え大師の石像の横の坂道を下る。誰もいないひっそりとした境内を急いで納経所に向かう。納経所ではご住職が待っていてくださった。ありがたい。

境内はおびただしい五百羅漢の石像が一種異様な雰囲気をかもし出している。もう一度じっくりと訪れたいお寺であるの一つである。「5時30分までに帰ってきてください。」とロープウェイの案内の女の子に言われていたのでゆっくりもできず、あわててロープウェイにもどることになった。ロープウェイの山麓駅に戻り、山を下る。

4キロほど下り、24号線に入る。次の大興寺の近くまで移動することにする。国道沿いで観音寺国民宿舎の看板を発見。予約はしていないが行ってみることにする。あいにく満室で断られるが、遍路宿『大平』さんを紹介してもらう。

7時過ぎに大興寺の裏手にある太平さんに到着する。宿泊客は私を含めて3人。そのためか16畳もあるかと思われる大きな部屋に案内される。がらんとした部屋でなんとも落ち着かない。食事はとてもおいしく毎日1本のビールを心ゆくまで味わう。1日の終わりの恒例の儀式である。

宿泊費はビールこみで6,500円。お風呂にすぐは入れなかったのは不満が残るが、満足のいく宿泊ができた。納経札への住所氏名の記入や、お寺間の距離をメモ帳に書き込むなど明日の準備をして、10時頃就寝。

道路標識で分かりやすい香川県(8月15日)

朝6時前に起床。すぐに朝食をとり、6時30分出発。すぐ近くの67番札所大興寺には10分位で到着。すでに駐車場に、自転車お遍路の男性が一人。

私の自転車を見て「やはり、これ位の大きさの自転車でないといけないですね。」としきりに話しかけてくる。私と同年齢と思われるその男性は折りたたみ自転車に乗ってきていた。やはり折りたたみ自転車では大変だろう。

昨日は思わぬ道草で3寺しか巡拝できなかったので、今日はその分を挽回したいという想いがあったので、先を急ぐ。88番大窪寺まであと3日間で20寺まわらないといけない。

観音寺市に入ってからお寺への道路標識がほぼ2キロごとに出てくるので非常に走りやすい。今まで地図を頼りに走ってきたが、自分の進んでいる方向が間違っていないかを確認できるので安心できる。本当にありがたかった。

財田川を渡ってすぐのところに68番札所神恵院、69番札所観音寺がある。八十八カ所でも珍しく同じ境内に2つのお寺が建つ「一山二霊場」である。納経所は1ヶ所で神恵院と観音寺と別々に納経してもらい納経料は二寺分払った。

次の本山寺は財田川を渡り5号線を進むのだが、財田川沿いにある遊歩道を走ることにする。川の左手前方に五重塔が見える。目標とする建物が見えるのは本当にありがたい。再度財田川を渡るとすぐに70番札所本山寺があった。

この寺の境内は非常に広く、ちょうど工事中であちこちに木材が所狭しと、置かれてあった。納経所で、お寺の案内標識の話をすると、3年前に観光バスのために整備されたとのこと。私達サイクリストにとっては心強い味方である。

おりしも、何の木か不案内であるが濃いピンクの花をつけていて美しかった。お寺そのものがモノトーンなので、花があざやかに見える。

先を急ぐ

本山寺を9時すぎに出発。71番札所弥谷寺に向かう。11号線を北上し、鳥坂峠の手前を左折し48号線へ。2キロの坂道をのぼる。その山門は不必要なものはほとんどなく、お寺の風説を感じさせる。

500段以上の石段があり、途中左手の山肌に阿弥陀三尊像が刻まれている。岩が風化して、その形が崩れかけている。昨年巡拝した岩屋寺のことが思い浮かべられた。48号線にもどって再度11号線を走る。今日もカンカン照りで暑い。

11時45分『峠の我が家』というごはん屋さんで食事をし、次のお寺の下調べをする。72番札所曼荼羅寺、73番札所出釈迦寺、74番札所甲山寺はかたまって建っている。あまり坂道もなく楽にまわれた。

曼荼羅寺で自転車お遍路の青年古沢(こさわ)さんと出会う。この青年とは長尾寺の前の『ながお路』という遍路宿でまた会うことになる。

さすがの善通寺

48号線を東へ甲山寺から1.5キロのところにある75番札所善通寺に向かう。2時50分頃到着。大きな駐車場から石橋を渡って善通寺へ。とにかく広い。また人も多い。四国霊場札所の中で一番大きいのではないか。

本堂には薬師如来が祭られている。薬師如来の周りが回廊のようになっていて1周して入口に戻ってくるようになっている。奈良の薬師寺の雰囲気に似ている。

中には売店もあり、そこで善通寺創建1200年祭記念の腕輪守を購入する。現金の持ち合わせが少なく10本しか買えなった。納経所では男女2人がてきぱきと納経をこなしていた。

今まで、75のお寺を回ってきて気づいたことに一部の寺の品格の悪さがあった。テレビがつけられ昼のメロドラマが流れている。居眠りをしていて、声をかけると驚いたように気づく。納経が終わったら戸をぴしゃりと閉める。ケータイのメールを一心に見ている女性。数え上げるときりがない。

お寺の建物がいくら良くても、歴史があってもそれに携わる人によってお寺の品格が下がる。人さまざまの思いを持って八十八ヶ所を巡っているのだが、少なくとも遊び半分で巡っている人はいないであろう。覚悟を持って真剣にお遍路をしている。その真摯な思いを受け止め真摯な態度で接待してほしいと望むのは間違っているのだろうか。

善通寺の納経所にはテレビもなく本当に気持ちよく納経していただいた。さすがである。このお寺は半日や一日かけてもじっくりと過ごしたいお寺の一つだ。

郷照寺で再会

76番札所金倉寺は善通寺インターの近くにあるお寺である。善通寺から4.5キロのところにある。この寺の本堂に所願成就の巨大な「願供養数珠」がおもしろい。

ワイヤーに通した大きな数珠を引くと数珠が回り、うえに上がった数珠が落下する。その時、下方にある数珠に当たって音がはじける。「パチ、パチ」と言う音がなんとも小気味よい。

77番札所道隆寺までは4.5キロ。11号線から319号線を経由して25号線に入る。寺は国道沿いに建っていた。道隆寺を出発して丸亀市に入る25号線は33号線に合流し、6.8キロ先の78番札所郷照寺に向かう。

郷照寺の山門に自転車を止めていると、横峰寺で「横峰寺の住職は時間に厳しいからなあ。」と私にアドバイスしてくれた親子づれに再会した。車を止めて「よう、がんばらはるな。」と声をかけてもらった。

お遍路では何人かの人と再会することが良くある。なぜか懐かしい気持ちになってうれしくなってくる。会おうと思って会うわけでなく本当にご縁があって会っている。

郷照寺に到着したのが4時45分だったので、先に納経をすませ本堂大師堂におまいりする。金色の観音像の足元にある階段を下りると「万躰観音洞(まんたいかんのうどう)」があり、おびただしい小さな観音像が祀られている。水子供養のための観音像らしい。

京都の鞍馬寺の本堂の下に、遺髪を骨壷に入れ祀っている地下洞と雰囲気が似ている。夏にもかかわらず冷気を感じるだけでなく、一種異様な霊気までも感じた。

病気平癒の護符「名号千枚通し」を購入する。その購入方法は、本堂の軒下の板間に「千枚通し」の袋が並べてあり、木箱の中に代金を入れるというやり方であった。

よく田舎で野菜が置いてあって、それを買うと竹筒の中にお金を入れるセルフ販売所があるが、1000円もする「千枚通し」がこのような方法で売られているのに少し驚いた。

もちろん私は1000円入れたのだが、人間性善説を地でくようなお寺のやり方に好感を持った。この郷照寺で、お賽銭用の小銭ゼロ、納め札もゼロ、線香もなくなってしまった。

遍路地図に出ている瀬戸内荘に今日の予約電話を入れるがあいにく満室で坂出プラザホテルを紹介してもらう。ホテルは33号線を北上し、坂出北インターの近くにあった。5時30分プラザホテル到着。

すぐに20階にある大浴場に入る。眼下には坂出港がみえ、瀬戸大橋が瀬戸内海をまたいでいる。またホテル周辺は企業の建物が林立している。夕食はビジネスホテルにしては豪華版で2食付5,800円は安い。

朝の食事を聞くと7時からということであったので、フロントの人におにぎりを作ってもらうようたのむ。幸いにも6時に食事を用意してもらえることになった。

フロントの人が厨房のスタッフに頼んでくれたらしい。本当にありがたいことである。朝食もとてもおいしかった。

歴史が息づく讃岐(8月16日)

5時20分ごろ起床。6時に朝食をすませ6時39分ホテル出発。約5キロ先の79番札所天皇寺へ向かう。道路標識には高照院となっており少しとまどう。

遍路本によると、保元の乱で敗れて讃岐国に流された崇徳天皇ゆかりの寺であると書かれている。1868年(慶応4年)の神仏分離令によって廃寺となり、札所はこの高照院に引き継がれた。このため地元では「高照院」と呼ばれるようになったそうだ。

これで標識のなぞが解けた。隣接して白峰宮という神社があった。7時過ぎに天皇寺についたのだが、寺ではすでに数人のお遍路さんが納経所の開くのを待っていた。

天皇寺から次の80番札所國分寺までは7キロ。11号線を東へ走る。國分寺には7時49分頃に到着。境内の池の中にビワをひく「お願い弁財天」がまつられ、その前に七福神像が並んでいる。

42番札所仏木寺も弁財天がまつられていて、昨年七福神の人形を買った。この弁財天さんに塾の経営安定をお願いした。大師堂の中に納経所がありみやげ物も販売されている。ちょっと珍しい大師堂であった。

ここで四国八十八ヶ所巡拝絵図を購入する。広げるとA2位の大きさの地図になる。八十八ヶ所のお寺をすべて見ることができ、塾の壁に一枚貼ってある。私にとっては自転車で巡った足跡として、この地図を見るたびに心が高揚する。それにしても四国で一番面積が小さい讃岐の国にはお寺が密集していることがよく分かる。

絶景、白峰寺への道

次の81番札所白峰寺まで13.5キロ。香川県の山岳地帯五色台に建つお寺である。33号線を少しもどり11号線に入る。2車線の大きな道路である。それに続く県道187号線を少し入ったところで右折、県道180号線に入る。

道は広く走りやすい。えんえんと続く5.7キロの坂道をのぼる。途中何回か小休止をとる。眼下にはおだやかな瀬戸内海がながめられ瀬戸大橋もみえる。絶景である

。昨年は土佐港、豊後水道が眺められたが海ばかりで陸地は見えなかったので殺風景だったが、今見ている景色は本州がはっきりと見え、なんとなく落ちつく。

日は高くのぼり、あたりには日をさえぎるものが何もなく、時折、山から吹き下ろしてくる風が心地よい。この大自然の中に包まれている幸福を味わう

。四万十川ウルトラマラソンで四万十川に沿って走ったときと同じ感覚だ。日ごろ生活の中では味わえない、人と自然との一体感だ。時折自動車が通るが、台数は少なくまた道幅が広い。ジグザグ走行ができ、今までになく走りやすかった。

9時32分白峰寺到着。この寺には天皇寺にゆかりの崇徳上皇の御廟所が祀られている。勅願門の手前に「玉章(たまずき)の木」と呼ばれるけあきの木が1本あり、柵をして保護されている。上皇にまつわる伝説の木である。

あまり立派なので写真におさめる。木を写真に取ったのは確かこれで2回目である。山寺らしい素朴な風情を感じる。標高約350メートルらしいがもっと高く思える。今回の巡拝で気に入ったお寺のひとつである。

あと六寺

82番札所根香寺までは約8キロ。上りと下りのアップダウンを繰り返し道の両端にある木々の中を山のほうへ徐々に登っていく。日かげと、木々のおかげでずいぶん涼しい。

五色台スカイラインの料金所を素通りして、根香寺に10時51分到着。約50分位でついたことになる。しめ縄を巻いた「白猴欅(はっこうけやき)」があり樹齢約1600年以上、幹周りは7メートル。昭和50年に枯死してしまい根のみ残し、屋根で覆われて雨露をしのいでいる。今まで幾多の人間模様を見てきたのであろう。まさに神木である。

本堂の手前に回廊式の「万体観音堂」があり手のひらサイズの金色の観音像が整然と並んでいる。その数3万体にのぼるといわれ数の多さに圧倒されてしまう。今日の予定は88番札所大窪寺にお参りして、夜高松からフェリーで神戸へ帰ることであった。先を急ぐ。あと6寺だ。

83番札所一宮寺までは18キロ。山を下り180号線を東へ。高松市内に入る。高松インターを目印に途中右折して12号線入り平地にある一宮に着いたのは12時32分。神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残りをとどめ境内に紅の鳥居があり、雄、雌一対と雄によりそう子狐の石像が建っている。その姿がトトロに似ていて思わず笑ってしまった。

誤算。屋島ケーブルがない!

一宮寺を後にして12号線から11号線に入る。栗林公園を通りすぎ、直角に曲がった11号線を東へ向かう。屋島ドライブウェイの標識を見て左折する。ところが地図に書いてある屋島ケーブルが動いてないことが分かる。大変な誤算だ。

屋島ドライブウェイはかなりきつそうだし、白峰寺、根香寺の坂道で足はかなり疲労している。料金所の警備員の人に教えられて遍路道を登ることを決心する。

市立屋島小学校横に自転車を止めて84番札所屋島寺まで急な坂道を歩く。約30分位で屋島寺仁応門に到着。一人の年老いた男の人が、丁寧に合掌している。ピーンとした空気がただよっている。

ここを通る人はほとんどなく、多くの人は駐車場からお寺に入るので、この仁応門の存在すら知らないのであろう。幸い私は歩いたおかげで、この立派な仁王門を知ることができた。静けさが源平の争乱の古戦場の「つわものどもが夢のあと」を実感させてくれる。鑑真ゆかりの古刹でもある。

時間がないのでそくさくとお参りをすませ、下山する。自転車のところに戻ったのは3時22分。大窪寺まで約39キロ。この時点で、今日中に大窪寺まで行くのは無理と判断。もう一泊することに決める。フェリーの予約もキャンセルした。

最善の方法

11号線をさらに東へ向かう。85番八栗寺までは7.7キロ。ケーブルカーの時間が気になる。八栗寺の大駐車場に着いたのは4時21分。30分発のケーブルに乗る。

下りのケーブルの関係でお参り、納経もゆっくりできず、5時のケーブルで下山する。大駐車場から87番札所長尾寺のすぐ近くの遍路宿「ながお路」に予約の電話を入れる。もと来た道とは違う道を下って再び11号線に出る。11号線を東へ。

志度寺には5時20分に到着。あわよくば納経をという思いで納経所に急いだが納経所は閉まっていた。そこで色々考えた末、まだ明るいので今日のうちに志度寺と長尾寺にお参りだけをする。

そして、明日88番札所大窪寺を巡拝した後、高松へ戻るとき長尾寺、志度寺に納経に寄ることにした。お参りをしておけば一応順序をふんでいると、少し手前勝手な考えではあるがそれが最善の方法だと自分に納得させた。

人は会うべき人に会っている

志度寺、長尾寺にお参りして「ながお路」に着いたのは6時20分。ここで、曼荼羅寺で出会った自転車お遍路の古沢(こさわ)さんに再会する。本当に不思議なご縁だと感心してしまう。

この日の夕食のとき、堤さんという50才代前半と思われるお医者さんと同席する。堤さんは次の職場に変わるまで時間があって歩きお遍路をしている。40日近く歩いて、明日は私と同じように大窪寺で結願の日となる。

喋っているうちにビールを注ぎあうようになり、家族のこと、仕事のこと、お遍路のことをとどめなく話すことになった。

そして目の前にいる堤さんに、近い将来歩きお遍路をしている私を重ね合わせている自分に気がついた。このことを確認するために私はこの「ながお路」に泊まることになった。いろんな障害があり、1日遅れで帰ることになったのは必然であった。

そして、何よりも「88番札所大窪寺に今までの巡拝に思いをはせながら、ゆっくりお参りしなさい。」という声なき声だったのもかも知れない。夜中から雨が降り出した。

11日にお遍路に出てから初めての雨だ。台風が来ているので明日は荒れるとの天気予報。明日晴れてくれることを念じつつ床についた。

結願(けちがん)(8月17日)

5時半起床。雨は小雨になっている。6時15分頃、堤さんと朝食。古沢さんは昨日も今日も食事を頼んでいないようだ。堤さんと「またどこかで出会いましょう」と再会を約して、6時42分「ながお路」を出発。古沢さんは少し遅れて出発するようだ。「大窪寺で会いましょう」と声をかけた。

長尾寺から大窪寺までは17.1キロ。3号線を南下。鴨部川を渡ったあたりから緩やかに登りとなった。額峠まで延々と続く6キロの登りがかなりこたえた。がまん、がまん。小雨だった雨はほとんどやんでいた。2回小休止を取り、峠を越えた。

峠を越えて下った先に多和小学校があり377号線に入るとまた坂道が続く。2つ峠を越えた先に大窪寺があった。

8時23分着。最後はどんなドラマチックな登りがあるのだろうかと、少し胸をワクワクさせていたが、意外にあっけなく着いてしまったので、少し拍子抜けの感があった。

しかし、一昨年発心して、3年目にしてやっとここまで来た。自転車お遍路にこだわり続けた自分をほめてやりたい。そんな思いが頭をめぐった。

しかしこの静けさは何だ。善通寺のようなにぎやかな寺という想像とはまったくかけ離れている。ゆっくりおまいりするとはこのことだったのか。1時間近く境内で過ごす。

古沢さんと再会しお互いの健闘をたたえあう。手持ちのお金はほとんどなく、結願寺と入った手ぬぐいを2本買う。大窪寺を9時22分出発。もと来た道を戻り長尾寺、志度寺で納経をしていただく。

志度寺の山門の手前に江戸時代の科学者平賀源内さんのお墓を発見。源内さんが四国の人だとはじめて知った。

帰路

11号線を西へ。高松のフェリー乗り場へ向かう。このとき所持金は小銭ばかりで1000円もなかった。フェリー乗り場の近くに労金をみつけてお金をおろす。

12時10分フェリー乗り場到着。乗船まで2時間30分近くある。食事をして、ロビーで高校野球を見る。3時に乗船開始。3時30分出発。

三宮からフェリーに乗り自転車お遍路を始めたのは一昨年。西日が絨毯のように海をこがし極楽浄土に招かれていると感じたのも、つい昨日のように思われる。今日は逆に高松から神戸へ向かっている。

松山道後温泉近くの51番札所石手寺をスタートして88番札所大窪寺まで結願のお遍路で38寺をめぐった。距離にして500キロ。一昨年が31寺、昨年が21寺であった。(31番札所竹林寺、51番札所石手寺は2回巡拝)

今年は初めてパンクも経験し、初めて納経に間に合わなかった。また、自転車で登れない山道を歩きお遍路と同じように登る経験もした。これは次の『歩きお遍路』に向けてのいい経験となった。

今までのように順風満風ではなかったが、その分より印象深いお遍路となった。色んな思いに耽っているうちに三宮港に、7時頃接岸。フェリーターミナルから三宮フラワーロードを北上、2号線に。

都会の雑踏の中で徐々に現実にもどされていく。日常の生活にいや応なくひきもどされていく自分を感じる。しばらく2号線を走るが、走りにくいので、43号線を走ることにする。43号線は側道が整備されていて非常に走りやすい。

人や自転車の往来も少なく、お遍路の余韻を感じながらゆっくりゆっくりと走る。いつもの様に、オアシスロードに入り夙川から苦楽園へ。自宅に着いたのは10時前であった。

これから

まだ高野山金剛峯寺参拝が残っている。受験の終わる3月後半の土・日曜日を利用していくつつもりにしている。もちろん自転車で行きたい。

のべ約15日で八十八ヶ所を巡拝したことになるが、やり残したことが一杯ある様な気がしている。それは八十八のお寺を通過してきただけ。という偽らざる気持ちが根底にあるからだ。

やはり『歩きお遍路』への想いやまずということであろう。ひとまず、来年の5月連休を利用して再度四国を歩きたい。それから、また『考えてみよう』と思っている。
 
今年も行く先々で、生き仏様にお世話になった。こころより感謝している。 合掌

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