子どもを読書好きにする苦楽園読書くらぶ

受験学力

受験学力   

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寺岡 研
先日、母校の東大を訪れたときのこと。現役の学生が「いい大学に入れば、いい生活が送れる」と話すのを聞き、思わず耳を疑いました。企業の求人が一流大学の学生に殺到したバブル期の話ではありません。いま現在のできごとです。

社会の学歴主義は、私が卒業した1975年当時もバブル期と同じでした。東大生というブランドの威光はすさまじく、300社もの企業が「入ってくれ」と私を誘ってくれました。

しかし、近年は事態が一変しています。東大生でも、300社から声がかかるような状況は全くありません。企業に成果主義が浸透し、終身雇用も約束されない時代の学生が、まだそんな考えを引きずっていることに驚きを隠せませんでした。

私は現在、フリーターやニートの若者の社会復帰を支援する活動に参加しているのですが、早稲田大を卒業後、アルバイトを転々としている若者は、こう話しています。

「早稲田を出れば、就職はどうにでもなると思っていたけど、現実は甘くない。受験用の学力なんて役に立たない。面接などでコミュニケーションや企画力を試されるうちに、体が固まって外出できなくなり、結局はフリーターにならざるを得ませんでした。」

このように変化の厳しい世の中を生き抜くために、幼少時から地域社会に触れ、社会に出るイメージをはぐくみ、自己決定を磨く。これこそが、ゆとり教育の目指す道だったわけです。

ただ冒頭の学生のような時代錯誤は、社会の側にも原因があります。全国の高校で横行した必修科目の未履修も、教育を受ける子どもの利益ではなく、「わが校の大学受験実績を上げたい」と願う大人の都合を優先した弊害です。批判されると、「すべては生徒を思ってのこと」と言い放つ大人の姿を見て、子どもは何を思ったでしょうか。

「幸せな人生を送りたい」と願わない人はいないでしょう。しかし、「受験学力」が将来の幸福に直結すると考える若者の存在は、今の日本社会を営む大人に鋭い問いを突き付けています。

私たち大人は若い世代を前に、これからの時代の「幸せな人生のかたち」を描き出せているのでしょうか。
2008年3月

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