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家の中主義

家の中主義

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あるスキー場でのできごと

11月の末、元塾生の大学生N君と岐阜のあるスキー場に出かけた。アイスクラッシャーという装置で作るかき氷のような人口雪のスキーコースであるが、当日は日曜日ということもあって、たくさんお人が集まってきていた

。スキーヤーよりもスノーボーダー(以下ボーダーと略す)の方が圧倒的に多く、年配の人はスキーヤーが多かった。

リフトで上り、さて滑ろうとすると、ボーダーたちが5メートルもない狭いコースの入り口を占領している。ボードを装着しているものがほとんどであるが、装着した後もそのまま雪上に座っているもののいる。その隙間をぬってコースに出る。

人間ポール

コースに出るとその真ん中にまたボーダーが座っている。(スキーヤーは一度スキー板をつけたら雪上にはめったに座らないのだけれど…)

それをかき分けるようにして滑る。ちょっとした人間ポールである。一緒に行ったN君はボーダーをさけようとしてコースをはずれ、スノーガンにぶつかって泥まみれになってしまった。

もちろんキチンとしたボーダーも多いのだが、ボーダーの座り込み、急に止まるなどの予測できない動きは、今までは「マナー」の問題だと片付けていた。

ケータイをもったサル

その後たまたま書店で目にした「ケータイをもったサル」(正高信男著・中央公論新刊)という本で「家のなか主義」というものを知った。

正高氏は京都大学霊長類研究所の教授で比較行動学を研究している人である。

その本の内容を要約すると、今の世代の多くは「私的な空間」と「公的な空間」戸を区別しないで行動しているというわけである。

レストランで走り回る子をしからない母親、講演会また演奏会ですら(私は結婚式場でけたたましくなるケータイを聞いた。)あちこちで鳴るケータイ、コンビニエンスストアーのまわりに座り込む若者等々。

彼らの行動は家の中での行動の延長に過ぎない。それが「家のなか主義」である。ボーダーもしかりである。スキーコースは彼らにとっては「私的な空間」だと考えればすべてが納得いく。迷惑をかけているという意識がないのは当たり前である。

ケータイが公的空間をなくする?

このようなライフスタイルが生まれてきた背景にはケータイの普及があるように思う。

本来電話は家の中にあり、きわめてプライベートなものであった。ところがケータイがそのプライベートなものを公的な場所に持ち込むようになった。
人に聞かれてプライベートな話をする。いやおうなくまわりの人間はその会話を聞かされる。こういったことが続くと私的なことと公的なことの区別ができない人間がふえていくのは当たり前かもしれない。

便利さに埋没して大切なことを忘れないように心したいものである。
 (くらじゅく通信2003年11・12月号より)

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